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きずな
Kizuna : The ties that bind
 

画面をさわると動きます

 繋がりの音色を見る

木村伊兵衛賞 大賞

Visual Arts Photo Award 大賞

 

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 著者 下薗詠子

 監修 百々俊二   ​

 ブックデザイン 鈴木一誌 杉山さゆり      

 発売元 株式会社 青幻舎        

 製本 サンエムカラー

 

​ 定価 ¥3000+税

 

 

 

写すときに在る下薗さんの自意識と、写されるときのさまざまな人々の持つ自意識とが、何百分の一秒という瞬間にスパークし、永遠性を帯びて写し止まる。そして、そこに立ち露れるイメージは、もはや意味とも美感とも無縁な<異界>そのものである。下薗さんの作品には、名伏しがたい不条理感がただよっている。
 
 
 
 
 
 
下薗詠子のポートレートを見ていると、被写体からまっすぐ放射される「気」のようなものを強く感じる。ヒトはそれぞれそのヒトに特有の「気」の形を持っているのだが、彼女はそれをまっすぐに受けとめて投げ返す。2001年の最初の個展「現の燈」に展示されたものと近作を比較すると、そのエネルギーのやりとりの精度が高まり、激しさだけでなく柔らかみが生じてきている。彼女の成長の証しだろう。               
 
 
 
 
なんだか悲しい写真です。人物も景色も、なぜか滑稽ながら悲しみをたたえています。ここには何かがあると、直観させられます。言葉にならない何かが、写真の隅々にへばりついています。それは、もしかしたらもう一人の君かもしれません。もうひとりの君が、見る者をどこかへ連れて行こうとしています。カラーからモノクロへの変化もいい。 
 
 

 

 

下薗さんが〈写す〉ことで出逢う女性たちは、どこか下薗さんに似ているように思う。 共鳴する二人が共同作業で女(ひと)の存在を現す。男には撮れない写真だ。
 

 

●Daido Moriyama​ 森山大道 (写真家)

Ms.Shimozono's sense of self-consciousness, and the sense of self-consciousness of the various people who are her subjects at the moment of the shoot,during that one instant of a few hundredths of a second,produce spaerks and take on a kind of eternalness as they are captured and are still.Then, the images that come to be revealed there set aside meaning and aesthetic completely, and are simply<other-wordly>.One finds an ineffable sense of absurd in Ms.Shimozono's work.

 

 

●Kotaro Iizawa 飯沢耕太郎 (写真評論家)

Viewing Eiko Shimozono's portraits. one experiences the “chi”or spirit of the subject powerfully radiating forth. Each person has or own unique. foem of spirit, and she seems to grasp this straight on, and then throw back. Comparing her current works with those from her first solo exhibition Utsutsu no Akashi in 2001, one notices the refinement of that exchange of energy, with an emerging gentleness to accopany that intensity.

I take this to be a sign of her ongoing development.

​​Masato Seto 瀬戸正人 (写真家)

These are somehow sad photographs.The people and the scenes are at once comical and exude a sadness.And you are made to sense instinctively that somothing si indeed there.

omething indescribable in words, adhered to the photograph throughout.And this may in fact be another you. hat other you is trying to take the viewer away with him, somowhere.

The transition from color to monochrome is also excellent.                                    

​●Shunji Dodo 百々俊二 (写真家)
There is somothing in the women that s.Shimozono shoots that is similar to Ms.Shimozono herself. It is a joint work, between two women, expressing their presense through the resonance between them. These are photographs that could never be taken by a man. 

 

 

目に見えるあらゆるものを正確に記録する写真という

メディアは、その特性によって、見る者に新しい視点や

予期せぬ驚きを与えてくれるが、その一方で、

時には目に見えない”何か”をも、

そこに焼き付けることができる。

 

人間の本質に迫り、被写体に宿る”魂”を

撮り続けてきた下薗詠子の写真を見ると、

そのことを強く実感させられる。

13年間に及ぶ彼女の活動の軌跡が一冊に

まとめられた写真集『きずな』によって、

第36回木村伊兵衛写真賞を受賞した

注目の写真家を取材した。

 

                                            Text:原田優輝

Interview

 

 

 

 

 

●写真を始めたきっかけを教えて下さい。

以前に、アンディー・ウォーホルのファクトリーが撮影された写真集を見たときに、モノクロ写真がスゴくカッコ良くて見えて、そこから興味を持つようになりました。高校卒業の頃に、ウォーホルのようなシルクスクリーンを専門的に学べる学校を探してみたのですが、それだけをやっている学校はなかったので、とりあえず写真を始めてみようと思い、写真の専門学校に入ったのがきっかけです。

 

●それまでは特に写真は撮っていなかったのですか?

普通の高校生が、友だちと一緒に記念写真を撮るような感じでしか撮っていませんでした(笑)。写真を学ぶようになったのは、専門学校に入ってからです。学校に入って最初の授業が、街中を歩いている人に声をかけて写真を撮るというものだったんです。それまで私は人間不信というか、人が苦手なところがあったのですが、実際に街中で声をかけてみると、断られることがほとんどなかったんですね。自分が受け入れてもらえている感覚を感じることができて、徐々に写真が楽しくなっていったんです。特にその頃は、自分の苦手克服の一貫で写真を撮っていたところもありましたね。

 

●実際には、初対面の人とどのように接しながら写真を撮っていたのですか?

接し方は相手によって変わりますが、基本的には被写体に合わせていく感じでしたね。「写真を撮らせてください」と声をかけて、そこから半日くらい一緒に過ごしながら撮らせてもらう場合もあれば、忙しそうな人には連絡先を聞いて、日を改めて撮らせてもらったりもしました。被写体との距離感もそれぞれで、その場でいきなり深い話をする相手もいれば、あえて緊張感を保って、被写体の凛としたところを撮ることもある。逆にピンと来ない場合は、一枚だけ撮らせてもらって終わることもあったり。

 

●撮影をしていると、”ピンと来る”瞬間があるのですか?

どちらかというと、その瞬間を自分から作っていく感じですね。そのために常にアンテナを張っているんです。被写体と接している時は、その人に一番合う背景や空間がないかを常に意識しているし、相手が私に深い部分を見せてくれたり、その人らしさを出してくれるように、いつでもオープンな姿勢で接するようにしています。そうやって常に嗅覚を研ぎ澄ませながら、被写体が最もその人らしさを出せる空間を、自分でコントロールしていくんです。例えば、夕方くらいの時間帯が一番合いそうな人であれば、それまでは色々と話をしながら、ゆっくり過ごします。だから、だいたい8,9割がおしゃべり、ということも多いですね(笑)。

 

●あまり多くシャッターを切ることはなさそうですね。

あまり多く切らない方だと思います。ブローニーのリバーサルフィルムを使っていて、一度に12枚しか撮れないので、下手に数を打てないところもありますが、もともとそんなに「写真を撮りたくてしようがない」というタイプの人間ではなくて、自分の全神経が高まった時にシャッターを押している感じなんです。

 

●被写体となる人の基準などはあるのですか?

どこかしら自分に雰囲気が似ている人が多いと思います。特に写真を始めた当初は、心に傷を抱えていて、そこに向かい合っていると感じる人にピントを合わせていましたね。自分と同世代の女の子から撮り始めたのですが、そこから徐々に若い男の子や年配のおじいちゃんおばあちゃんなども撮るようになっていきましたが、基本的には自分に近いものを持っていて、そこを引き出していけそうだと感じる人に声をかけることが多いですね。

 

●先日木村伊兵衛写真賞を受賞した『きずな』には、そのような人たちのポートレートが収められているわけですね。

そうですね。この写真集の中には、こびを売るような人がひとりもいないんです。普通、若い女の子だったら、可愛く撮られたいと思ったりすると思うけど、そういうものが全然ないんですよね。

 

●たしかにこの写真集に出てくる人たちには、そうした要素は一切感じられないですね。

 その人の最も本質的な部分をストレートに捉えた力強い写真が並んでいるように感じます。

さっきも話したように、自分がピンと来るタイミングを作ったり、待ったりしながら、その人の本質が見えてくる瞬間というのを、常に狙っているんです。写真というのは、シャッターを押せば何でも写ってしまうものですよね。でも、私が見ているのは、その人の魂など、目には見えない存在だったりするんです。最初は、そうした目に見えないものを、どうやって表現していこうかと考えていたのですが、そもそも目に見えないと思い込んでいる魂は、肉体に宿っているもので、そこには動きがあるわけですよね。目に見えないという意味では風なども同じですが、風だって草木の揺れなどで表現することができる。だから、人間の魂もそれと同じように表現していけると思って撮っているところがあるんです。

 

●『きずな』には、13年間にわたって撮り貯めた写真が収められていますが、写真集を作ろうと思ったのは、いつ頃だったのですか?

2年くらい前です。それまでは形にしようとか、賞を狙おうということは一切考えていなくて、特に発表もしていませんでした。でも、13年の間に撮った写真たちが、そろそろ表に出たいと言ってきて(笑)。ただ、その頃はアイデア勝負の写真や、フワフワしたガーリーな写真がスゴく多い時期だったんですね。そうした写真界全体の流れも俯瞰しながら、次に何が求められるかというのを考えてみると、私が撮ってきたようなストレートな写真なんじゃないか、と。その大きな流れが来るまでに準備をして、一番良いタイミングで写真集を出そうと思ったんです。それで、大賞を獲ると写真集が出版できる「ビジュアルアーツフォトアワード」に応募しました。その時はすでに、大賞を獲って写真集を出すというビジョンが自分の中で明確にあったので、まだ受賞も決まっていない段階から、色んな人に「写真集出します」と言っていましたね(笑)。

 

●自分の作品を世に出すタイミングを冷静に探っていたのですね。

はい。自分の写真集を出したいという欲があまりなかったからこそ、良い結果になったような気がします。せっかく被写体一人ひとりの魂を撮らせてもらっているわけだから、下手には扱いたくなかったというのもあります。そういうすべてのことをひっくるめた上で、一番良い波が来ている時に出したいという思いがありました。

 

●写真集は、「光の闇」「闇の光」「光と闇」から成る三部構成になっています。

 これは、下薗さんが歩んできた13年間のプロセスともリンクしているそうですね。

そうですね。写真を撮り始めた頃は、相手に自分を受け入れてもらえて、さらに写真を通して深い会話ができるようになっていくことが面白くて、毎日のように外に出て撮っていました。でも、徐々に相手の深いところまで入っていけるようになってくると、今度は人間の汚い部分というのも色々見えてくるんですね。そこでしばらく写真を撮るのをやめた時期もあったのですが、それでもやっぱり人間の力を信じたいという思いがあって、また撮り始めるようになりました。それからは、そうした心の闇の部分ではなく、もっと人間の素晴らしいポジティブな部分に自然とピントが合ってきたんです。そうした13年間にわたるプロセスが、時系列順に収められています。

 

●人間の闇の部分が見えて沈んでいた時期に、そこからはい上がるきっかけとなった出来事などはあったのですか?

魂の師匠と言える人に出会えたんです。その人は本当に素晴らしい人格者で、週に1,2回くらいその人と会って、自分の抱えている悩みや、小さい時から持っていた疑問などを全部ぶつけたんですね。その出会いをきっかけに、「私もその人みたいになりたい」「私も光を見たい」と思って、死に物狂いでがんばるようになったんです。まだその人を撮影はしていないのですが、いつか撮れるような人間になりたいなと思っています。

 

●自分の苦手克服というところから撮影をスタートし、その後も写真を撮り続けているわけですが、

 写真を通してどんなことが得られたと思います   か?

人の長所から、そうじゃない部分までが、たくさん見えるようになりました。その上で、その人の良いところを引き出していく力が身についてきたように思います。最初の頃は、闇の部分に引っ張られて、「人間って嫌だな」「煩わしいな」と思っていたのですが、しっかりそこを見つめて受け入れられたことで、ポジティブな捉え方をした方が、自分にとっても幸せなんだと思えるようになりました。仕事として撮影をすることもあるのですが、以前は自分の興味がある人しか撮らないという感じだったんです。それも最近は、たとえ被写体が自分にとって興味のなかった人でも、撮影を通してその人の魅力を発見して、感動できるようになったんです。それからは、あまり仕事を断ることもなくなりました(笑)。今は、カメラを持っていない時でも、自然に相手の良いところを探すようになっています。写真でも、日常でも、光も闇も両方見た上で、一人ひとりのポジティブな部分にピントを合わせるようにしています。自分にとって大切なことは、何よりも「見る」こと。その証拠を形として残すために、シャッターを切っているのかもしれません。

 

 

1章 光の闇 The light in darkness

2章 闇の光  The darkness in light

3章 光と闇 Light and darkness

きずな

「絶望から希望見出させた絆」

10年余りかけて撮られたポートレートにはひりひりするような緊張感がある。特に 若い女性を撮った写真は、秘密の共犯関係を垣間見ている気にすらさせる。(中略) 本書は3部から構成されている。(中略) おそらくこれは下薗自身にとっての「救済」の物語なのだろう。彼女が生きにくい世の中で絶望の中から何とか希望を見いだすことができたのは、これらの写真に登場する人たちのおかげであり、だからこそタイトルは「きずな」なのだ。いわば人間であることと写真家であることの危うい境界上に立ち続けることから生まれたのがこの作品だとも言える。 日本社会が未曾有の混乱に陥っているこの時代だからこそ、このような彼女が、安易な希望も絶望も抱くことなく、人間の絆をしっかりと見つめる写真家として羽ばたいてゆくことを期待したい。

共同通信(竹内万里子氏)

 

 

 

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